こんにちは、皆さん! 戦後の混乱の中、中国に取り残された日本人孤児たちの運命を描いたドラマ「大地の子」。その壮絶な人生と、国境を越えた父子の絆は、私たちの心を深く揺さぶります。
本作は、中国残留孤児の悲劇と父子の恩愛を軸に、歴史の影に埋もれがちな人々の、声なき叫びが丁寧にすくい上げられた涙と感動の物語です。
今回は、そんな「大地の子」が私たちに投げかけるメッセージと、その余韻を振り返り綴ってみたいと思います。
「大地の子」予備情報
「大地の子」は、山崎豊子氏の小説を原作とし、日中共同制作で1995年にNHKで放送されたドラマ。太平洋戦争で日本が敗戦した後、中国に取り残された日本人残留孤児が運よく優しい中国人に助けられ養育され、文化大革命の波に翻弄されつつも苦難を乗り越え、最終的には生き別れた家族と再会を果たすという感動的な物語です。
【スタッフ】
制作:NHKエンタープライズ21・中国中央電視台
原作:山崎豊子「大地の子」
演出:松岡孝治、潘小揚、榎戸崇泰
脚本:岡崎栄
音楽:渡辺俊幸
【キャスト】
陸一心(松本勝男)役: 上川隆也
松本耕次(実父)役: 仲代達矢
陸徳志(養父)役: チュウ・シュイ(朱旭)
宇津井健、田中好子、牟田悌三、西村晃、児玉清他
「大地の子」ざっくりあらすじ

太平洋戦争終結後、満洲の開拓地から逃げ遅れ中国に取り残された日本人の家族。7歳の松本勝男は過酷な逃避行中、祖父や母を失い、妹のあつ子とも生き別れになってしまいます。あまりの衝撃に一部の記憶を失った勝男でしたが、運よく優しい教師の陸徳志に助けられ、陸一心と名付けられ息子として育てられます。
陸一心は養父母の愛情に支えられて大学まで進学し優秀な青年に育ちます。が、周囲からは日本人に対する様々ないじめや差別に苦しみ、中国人女性・趙丹青との恋愛も一心が日本人であることを知ると、彼女は去ってしまうのでした。
大学を卒業一心は技術者となって北京の鉄鋼公司で働き始めます。ところが文化大革命が始まると、日本人であることを理由に迫害の対象となり、日本のスパイとして無実の罪を着せられ辺境の労働改造所に送られ、将来の夢も希望も見えない労働の日々が続くことに・・。
ある時、破傷風で命の危機にさらされた一心を救ったのは、後に妻となる看護婦の江月梅でした。月梅は一心の境遇に同情し、義父徳志に彼の状況を知らせる手紙を送ります。
一心が音信不通となり心配していた徳志は、手紙で息子の消息を知り、冤罪を晴らすため北京へと出向いてゆきます。つてを頼り、今や人民解放軍幹部となっていた幼馴染の袁力本が助力し、やっと釈放された一心は北京で待ち続けた徳志と7年ぶりに再会を果たすことができたのでした。
◆ ◆ ◆
時代は改革開放政策へと移り変わり、元の職場・鉄鋼公司に復帰した一心は、日中国交正常化に伴い、日中共同のプロジェクトである製鉄所建設チームの一員として働くことになりました。このプロジェクトに日本から派遣されたのが東洋製鉄の松本耕次、二人は実の親子とも知らず万里の長城で出会い、同じ事業に携わることになります。
一心は命の恩人である江月梅と結婚していました。ある時、月梅は残留孤児の女性を診察しますが、その女性は一心の妹あつ子と分かります。兄と妹は35年ぶりに再会を果たしたのですが、その時、あつ子は既に瀕死の状態で、まもなく息を引き取ってしまいます。
この兄妹二人の父親である松本耕次は、戦地から復員した後、製鉄所で働きながら満州で消息を絶った家族の行方をずっと探し続けていました。開拓団生存者の証言から勝男とあつ子の消息を得て駆けつけますが、時遅く、既に一心があつ子を看取った後のことでした。
ここで初めて、一心は松本耕次が実の親であったことを知るのですが、自分と妹の辛い日々を思うと父親を許すことができず、運命の事実に苦しむのでした。
◆ ◆ ◆
一心は仕事で日本を訪れますが、父親の家を訪ねた外出中に機密書類を盗まれてしまいます。機密書類紛失の責任を問われ、一心は内モンゴル自治区へ左遷されてしまいます。
耕次は息子を救うため奔走しますが叶わず、結局一心を救ったのは、かつての恋人・丹青でした。丹青は二度も一心を裏切ることはできないと、離婚を覚悟で、自分の夫が一心を陥れた事実を明らかにしたのです。
晴れて一心は仕事に復帰し父親と共に懸命に働き、プロジェクトを成功させます。完成した製鉄所の高炉に火が入り、父と子は抱き合って喜びを分かち合います。
耕次は一心に、日本に帰って来てほしいと気持ちを伝えます。この申し出に、一心は心揺らぎ、実父か義父か苦悩するのですが、結局、中国の養父の深い恩愛を思い、自分を育んでくれた中国に留まる決意を固めるのでした「私はこの大地の子です」と・・
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「大地の子」見どころ・感じどころ

◆中国残留孤児たちの悲劇
日本を含む外国列強に蹂躙された中国、そのため太平洋戦争終結後、中国に置き去りにされてしまった日本人に対する偏見・いじめ・差別的待遇は激しいものがありました。
実際に、日本人残留孤児たちは「小日本鬼子」と呼ばれ、大多数の中国人から疎まれ憎まれ、奴隷として売られるなど過酷な状況にあり、偏見・いじめ・差別に苦しめられながら生きていたことが作品から見て取れます。
劇中では、残留孤児の一人、松本勝男は運よく優しい中国人に命を救われますが、成人し成人した後も、日本人と知られると、スパイ容疑で内モンゴル奥地に流刑となってしまいます。7年後にやっと解放され、離れ離れになっていた妹と再会を果たすも、妹は虐待と病に侵されていて既に瀕死の状態で間もなく息を引き取ります。本当に悲しく切なく胸が痛みます。
◆父子の情愛に泣かされる
孤児となった松本勝男(陸一心)を助け養子とした陸徳志は、日本人であるが故に疎まれる一心を常に庇い育て、成人の後も自分の教職を捨ててまで一心の冤罪を晴らすことに注力します。長い間待ち続け、ついに解放された一心と北京の駅で再会。その愛情の深さには感動で胸が熱くなり涙が溢れます。
一方、ずっと家族の消息を探していた東洋製鉄の松本は、息子を探し当て日本への帰還を望むも、一心と義父の絆は強く、実父の想いはなかなか一心に届きません。日中共同プロジェクトである製鉄所建設においても、それぞれ国の立場上、父子との対立があり、実父の胸の内も切ないものがありますね。
一心は、実父の住む日本への帰国と、義父への恩愛の狭間で揺れ動きますが、最後には「自分は大地の子」と、中国に残る決断をします。
★陸徳志役を演じたのは中国の名優・朱旭(チュウ・シュイ)さん。本当に慈しみ溢れる演技に泣かされました。
◆日中共同プロジェクトの摩擦
日中国交正常化に伴う製鉄所建設という日中共同プロジェクトの発足。しかし、日中会議は最初から激しい応酬がなされ険悪な雰囲気から始まり、プロジェクト進行中も技術面や金銭面で問題が生じ、更には、中国の政治的事情で、途中建設が凍結され、後に再開されるも事故が発生、装置や機器の解体点検を行うなど困難が続きました。
日中共同プロジェクトは、それぞれの国を背負ってのプライドがあり、対立は立場上仕方ないものだったのでしょう。すったもんだといろいろありましたが、最終的には製鉄所は無事稼働し始め、日中のメンバーは共に喜びを分かち合います。
戦後80年経った現在でも、日中間には見えない溝が横たわっていて、政治的な問題が浮上するとすぐに文化交流にさえ影響がでる始末です。ドラマを通じて、国を侵された根深い傷と、また、それを乗り越える融和の精神を汲み取ることができれば幸いです。
「大地の子」満洲開拓団の夢と悲劇

物語の舞台となった満洲とは?満洲開拓団とは?戦争の被害者、中国残留孤児についても、本作「大地の子」に描かれた時代を深く知ることで、本作に込められたメッセージを受け取ることができるでしょう。
満洲はどんな所
満洲は、現在の中華人民共和国の東北地方からロシア沿海にかけての地域を指し、北と東はロシアに接し、南は朝鮮半島と接し、西はモンゴル高原と接しています。
この地域は古代、燕が勢力を伸ばし、続いて高句麗、渤海、遼、金、元、明と支配者が移り変わり、この後、満洲族による後金(清)が満洲を含む中国を統一支配しました。
19~20世紀には、イギリスとのアヘン戦争、日清戦争、ロシアからの侵略などで清は弱体化し、国内でも反清勢力の台頭により清は崩壊、1912年孫文率いる中華民国が建国されるも、各地域の軍閥による群雄割拠で満洲も混乱状態が続きました。
1931年、大日本帝国は領土拡張・資源獲得のため満洲に侵攻(満州事変)、清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀を傀儡皇帝として満洲国を建国し事実上日本の支配下としました。
日本は寒冷で不毛の地が多かった満洲を開拓するため、鉄道を引き、多くの移民を送り込み、農業や重工業開発など産業投資を行いました。
しかし、1945年8月、第二次世界大戦終結直前にソ連軍が南下、ソ連は満洲を占領し、皇帝溥儀は退位となり満洲国は撤廃されてしまいます。その後、中国共産党が内戦に勝利し、1949年に中華人民共和国が設立した際、満洲は同国へ返還され現在に至っています。
満洲開拓団(満蒙開拓団)とは
1931年(昭和6年)の満洲事変で満州国が建国されて以降、日本政府の国策により満洲・内蒙古への開拓移民が推進されました。満洲開拓団は、太平洋戦争敗戦までの14年間に日本各地から30万人を超える人々が満州国へ移住し農業などに従事したとされます。
満洲国は日本政府の承認した一国家として満洲国政府が統轄していましたが、移民の国籍はそのまま日本にありました。開拓民は日本人コロニーを形成しており、地元住民との交流はあっても現地社会との接触は限られたものでした。
第二次世界大戦末期の1945年8月、ソ連は日本と結んでいた中立条約を一方的に破棄し、突如として満洲国へ侵攻してきたため、各地の日本人は敵軍の襲来に急遽退避せざるを得ない状況に追い込まれてしまいます。
ソ連侵攻当時の「満洲開拓団」は、およそ20万人ほど、その大半が老人や女性、子供であったとされ、生命の危険にさらされながらの過酷な逃避行中に多くが死亡、開拓民の約三分の一が犠牲になったと伝えられます。
中国残留日本人・残留孤児
日本の敗色が濃くなった1945年、ソ連軍の満洲侵攻をいち早く察知した日本の関東軍は、守るべき民間人を置き去りにして、急遽退却してしまいました。
軍人やその家族たちは、日本へ帰還する引揚船に乗るため、その夜のうちに列車で満洲東部へ避難できましたが、翌日以降に侵攻の事実を知った多くの民間人は移動手段もなく、長距離を徒歩で避難するしかありませんでした。
避難民の逃避行は過酷を極めました。ソ連軍の攻撃や地元民の襲撃に出くわす混乱の中、家族との離散・死別にさらされ、捕虜となった者は収容所で寒さや栄養失調で命を落としました。
幼児・子供は『残留孤児』となり、人身売買や中国人の養子として中国大陸で生きることを余儀なくされ、女性は中国人妻となり命をつないだのです。しかし生き延びるも、日本人は偏見や差別、いじめに苦しみ、生活苦に耐えかねて悪の道に走った人々も多く、また前途を悲観しての集団自決という悲劇もありました。
次世代へのメッセージ
戦後27年の日月を経た1972年9月、日中国交正常化が成り、これを機に中華人民共和国に残された子供や兄弟の消息を求めて『残留孤児』の捜索が可能となりました。
その後、民間ボランティアの活動や政府による肉親探し事業により、数千人の残留孤児を見つけることができましたが、血縁関係が確認され身元が判明した人たちは令和7年現在1200人ほどに留まっています。
そうして運良く帰国したものの、彼らの多くは周囲の偏見や言語の壁に苦しみ、社会に適応できない悩みを抱えながら高齢化を迎えている現状があり、戦後日本の繁栄の陰にあった中国残留日本人・孤児の存在は次第に忘れ去られていきつつあるようです。
第二次世界大戦を体験した世代が次々と世を去ってゆく中、戦争の記憶を風化させることなく、次の世代に伝えていくことが私たちの手に委ねられています。
◆ ◆ ◆
「大地の子」まとめ
はい、泣かされました。戦争孤児・陸一心の苦境に満ちた半生を、父子の恩愛と二つの祖国を軸に、日中共同で行われた製鉄所建設プロジェクトを絡め描かれた壮大なドラマでした。
当時の中国の内情や史実、日中の関係など歴史を学べる物語でもありましたね。
中国残留孤児となった日本人のほとんどは、常に偏見やいじめに遭い生きることを余儀なくされ、辛く苦しい人生を強いられたのです。
こうした実情が、満州からの帰還者や残留孤児の生の声がニュースで流れたこともあり、実際にあった出来事として身につまされます。
あまりにも大きい戦争の代償・・多くの人々が消えない心の傷を負いました・・

★それでは、またお会いしましょう。Good Luck!