歴史に刻まれた「日本のいちばん長い日」運命を懸けた決断

日本のいちばん長い日

こんにちは、皆さん! 1945年8月15日の真夏、終戦を迎えた日本。その運命を左右した一日が、静かに、しかし激しく歴史の中に刻まれました。

映画「日本のいちばん長い日」は、戦争終結までの緊迫した時間を克明に描き出し、人間の弱さと強さ、そして決断の重みを私たちに問いかけてきます。
政府、軍、皇室、それぞれが揺れ動く中で下された「終戦」の判断には、現代を生きる私たちにとっても多くの示唆が含まれています。

本記事では、作品を通して感じた感動と気づき、そしてこの一日が持つ意味について、改めて学び、考えてみたいと思います。

目次

「日本のいちばん長い日」予備情報

本作2015年版「日本のいちばん長い日」は、混迷極める太平洋戦争末期、どのように終戦を迎えたのか、史実に基づき、無条件降伏を受け入れた日本政府の苦悩と葛藤、そして決断に至る経緯を描いた作品です。
1945年8月14日~15日正午の終戦を告げる玉音放送に至るまでの1日は、まさに日本の運命を左右した時間であり、日本の歴史において重要な転換点として記憶に刻まれているものです。

【スタッフ】

監督:原田眞人
原作:半藤一利「日本のいちばん長い日 運命の八月十五日」

【キャスト】

阿南惟幾 (陸軍大臣):役所広司
昭和天皇       :本木雅弘

鈴木貫太郎(総理大臣):山﨑努
迫水久常 (内閣書記):堤真一
畑中健二 (陸軍少佐):松坂桃李
佐々木武雄(陸軍大尉):松山ケンイチ

★YouTube「日本のいちばん長い日」Pickup

第二次世界大戦・アジア・太平洋戦争は、1939年9月から1945年8月まで、日本・ドイツ・イタリアに対し、イギリス・フランス・中国・ソ連・アメリカなど連合国との間で起きた、世界的規模の戦争です。

「日本のいちばん長い日」ざっくりあらすじ

真珠湾奇襲攻撃から始まった太平洋戦争、当初は日本軍優位に進められたものの、アメリカの反撃で、日本軍は徐々に追い詰められていきました。
大国アメリカとの力の差は歴然、戦況は悪化、日本国内には暗雲が立ち込め、時の内閣や軍部からも日本の未来を案じる声が高まってきます。
1945年、連合国(アメリカ・イギリス・中国)は、大日本帝国に対し「無条件降伏」を求めたポツダム宣言を受け入れるよう強く通告してきます。

日本のいちばん長い日/イメージ

敗戦はあり得ないとする陸軍は、本土決戦へ持ち込みも辞さない構えです。しかし一方、日本の未来のため、国民のため、ポツダム宣言を受け入れるべきという少数意見もあり、天皇陛下は以前から、耐え難きを耐え忍び難きを偲んできた国民を案じ、早くから戦争終結の方策を探るよう側近に指示していました。

連日連夜、協議が行われましたが、解決策を導けず無策のまま時は過ぎ、ついに運命の日がやってきたのです。
1945年8月6日、広島に原爆が投下され、続いて9日、長崎にも原爆が投下され、日本中の全国民がその恐ろしい威力と惨劇を目の前にすることになりました。

この後の御前会議で、天皇陛下は、長きに渡った戦争を終結させたい想いを皆にはっきりと伝えます。阿南陸軍大臣を始め多くは天皇のご意志を汲み取り従いますが、一部の若手将校たちは敗戦を意味するその決定を受け入れようとせず、クーデターを画策していました。

昭和20年8月14日、政府はポツダム宣言受諾を決定し、天皇の名において、降伏止む無しの旨を全国民へ伝える玉音放送の準備が進められます。
しかし、降伏に反対する将校たちは、玉音放送を阻止するべく暴走し、宮内庁の職員をも拘束、皇居を占拠し、混乱を極める事態に陥ります。

阿南陸軍大臣や軍の高官らの説得により何とか騒動は納まり、翌8月15日、玉音放送がラジオを通じて流され、戦争が終わったことが全国民へ伝えられました。

阿南陸軍大臣は、敗戦の結果や軍を統括できなかった責任をとり自決、最後まで本土決戦・玉砕を望みクーデターに至った将校達は、敗戦の屈辱に耐ええず拳銃自殺を図ります。

敗戦に号泣する者、終戦に歓喜し嬉し涙を流すもの、その日は、長い戦争に翻弄された日本中が、戦争から解放され、涙に明け暮れる、日本の一番長い一日となったのです。

「日本のいちばん長い日」見どころ・感じどころ

日本のいちばん長い日/皇居

日本の歴史の転換点となった運命の一日、国民に敗戦の正しい情報が伝えられない中、日本の運命を左右する御前会議で天皇陛下のご意志はどのように反映されたのでしょうか? 一般庶民が知りえない、会議の内幕を見るだけでも意味があると言えますね。

◆戦争終結へのタイムラインを知る

1945年(昭和20年)7月26日、戦局は日本が圧倒的に不利な状況にある中、アメリカ・イギリス・中華民国の連合軍により、無条件降伏を求めるポツダム宣言が日本に対し通告されます。

日本では連日にわたって、降伏するか否か、本土決戦に突き進むか議論が続きますが、懸念となる国体護持の可否を巡って結論を一本化できずにいました。

ズルズルと日を延ばすうち、8月6日広島に、続いて9日長崎に原爆が投下され、人も都市も壊滅的被害を被り戦況は悪化の一途を辿ります。

居並ぶ閣僚たちが未だ降伏の決断に迷う中、天皇陛下は国民を案じ、早くから戦争の終結をお考えで、同心の者とその方法を模索していました。一方、玉砕覚悟の若手将校たちは、終戦に反対しクーデターを画策していました。

8月14日、天皇陛下の想いに従い、ついに政府はポツダム宣言の受諾を決定するに至り、玉音放送の準備にかかります。これを阻止すべく若手将校たちは宮城を占拠する暴挙にでますが、阿南惟幾や軍の上層部はこれに追随せず、説得されたため抵抗を断念します。

1945年8月15日、大日本帝国はポツダム宣言を受諾、天皇陛下の玉音放送がラジオから流され、戦争終結の旨が全国民に伝えられました。ここに第二次世界大戦・アジア太平洋戦争は終結の時を迎えるのです。

◆国運を左右する苦悩と葛藤を知る

終戦間近の1945年8月、日本の敗戦は誰の目にも明らかでしたが、せめて一矢を報いてからでないと有利に終戦交渉ができない、天皇制(国体護持)を守れるのか、こうした議論が続き終戦の決断に至らないまま、ついに原爆が投下されてしまいます。

当時の日本がどのように終戦を迎えたのか、政府内で繰り広げられた戦争終結への苦悩と葛藤と決断。その緊迫した状況がほぼ史実に再現され、大局の渦中、戦争の終結に尽力した人物や、信念のために暴走する青年将校たちの姿が描かれます。

戦争終結に向けた天皇のご意志を支えたのが鈴木貫太郎首相と阿南惟幾陸軍大臣。本作では、昭和天皇の人物描写が美化されている面もありそうですが、それは本木雅弘さんの好演によるものかもしれませんね。阿南惟幾役の役所広司さんの演技も見事なものでした。

★「日本のいちばん長い日」二本の映画
映画「日本のいちばん長い日」は、岡本喜八監督の1967年版と、原田眞人監督の2015年版があります。どちらも皇国日本の降伏による戦争終結の苦悩や困難が描かれますが、2015年版では、昭和天皇や阿南惟幾の想いや人となりにも触れ、一層見応えある作品となっています。

「日本のいちばん長い日」反戦と平和への願い!

日本のいちばん長い日/原爆遺構

第二次世界大戦、アジア・太平洋戦争が終結に至った運命の一日「日本のいちばん長い日」。大戦の概略をおさらいし、改めて反戦と平和への志を新たに!

第二次世界大戦は「世界大恐慌」と呼ばれる、大国アメリカの株価暴落による経済的大不況に起因しています。経済の中心であったアメリカの不況の波は世界中へ波及し、どの国も経済的に苦しい状態に陥っていきました。経済的資源を産み出す領土や植民地の獲得は不況打開策の一つの手段だったのです。

1939年9月、ヒトラーを総統とするドイツのポーランド侵攻をきっかけに、ヨーロッパで戦争が勃発、近隣諸国を巻き込みながら戦線が拡大していきました。

同時期、日本においても植民地獲得は必須要件となっており、日清・日露戦争で獲得した朝鮮半島を足がかりに、当時内乱状態にあった中国大陸への侵略を開始します。満州事変を経て満州を支配地にした後、1937年、日本軍と中国軍が盧溝橋で激突、これをきっかけに日中は長い全面戦争に突入してゆきます。

1941年12月7日、日本はアメリカの真珠湾を奇襲攻撃し、アジア・太平洋戦争が始まりました。この後、マレー半島やフィリピンなど東南アジアへの侵攻が始まります。

真珠湾攻撃から始まったアジア・太平洋戦争は、当初は日本軍優勢でしたが、アメリカ・イギリスの連合軍の圧倒的な勢力に押され、次第に戦況は悪化し、本土の主要都市にも爆撃が行われ敗戦色濃厚となります。

連合軍から、敗戦を認め降伏する旨のポツダム宣言を突き付けられ、戦争終結の議題が上がりますが、政府・軍部は議論はすれども結論に至ることはありませんでした。天皇制の国家体制を存続する「国体護持」の可否が問題であり、このため無条件降伏など到底認め難かったのです。

国民は政府や軍の政策に対して物申すことは一切できませんでした。国策に添わない言動や行いは非国民とされ処罰されるからです。一刻も早い終戦と平和を願う国民の心は封じ込められていました。
政府内では戦争終結を望む声もありましたが、軍の力が強く、平和を望む天皇の想いは実現しにくい環境にありました。

そうこうする中、広島、ついで長崎へと原爆が投下され日本は壊滅的な惨禍を被ってしまいます。ついに1945年8月15日、空襲で焼け野原となった東京、ここに政府はポツダム宣言を受諾し終戦を迎えることに。

日本は無条件降伏を受け入れポツダム宣言を受諾、これにより日本政府は、戦後の政治的改革を余儀なくされました。非軍事化が進められ軍隊は解散、連合国による軍事裁判(東京裁判)で戦争犯罪人が裁かれ、政府公職で主導的立場にいた者は退任させられました。

日本占領を指揮した司令官ダグラス・マッカーサーの下、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)により、自由・平等・民主主義の思想が広められる一方、街はMPと呼ばれる外国兵に監視され、国内には不安と混乱が広がっていました。

中国大陸や南方の地で終戦を伝え聞いた兵士や移住していた人たちが続々と日本本土に引き上げてきましたが、終戦直後は配給も無く、闇市の物は没収され、餓死者も出るなど、人々は食料不足に苦しめられます。

また、終戦後にもかかわらず、大陸から逃げ遅れた日本人はソ連の攻撃を受け、多数が捕虜となりシベリアへ抑留され過酷な労働を強いられることに。逃避行中に親を失った子供たちは残留孤児となり、大陸に取り残されてしまったのです。その後の子供たちの暮らしや心の傷は、言わずもがなではありませんか・・

第二次世界大戦では、全世界の死者数は、軍人・民間人合わせて6000万人、日本では300万人近くの人が亡くなったとされています。

現在の日本の繁栄と日本国民の平和な暮らしは、過去に戦争で命を犠牲にした人々の上に成り立っていることを知らねばなりません。決して忘れてはなりません。
そして、あの日、日本には無条件降伏という辛く苦く長い一日があり、昭和天皇や政府の苦渋の決断があったことを、私たちは改めて学び、その意味を知り、深く心に刻み、反戦と平和への志を忘れないようにしたいと思います。

世界ではあっちこっちで悲惨な戦争が続いています。原爆兵器の使用も危ぶまれます。日本にも戦争から非難してきた人たちが大勢いて他人事ではありません。平和ボケなんてしていられませんね!

「日本のいちばん長い日」まとめ

はい、なかなか濃厚で重い作品でした。個々の命が軽んじられる戦争の悲惨さと、戦争を終わらせるという困難な決断を迫られた人たちの葛藤がひしひしと伝わってくる映画でした。
自らの信念をもって戦い続ける者たち、戦争の終結に命を懸ける者、そして周りに振り回されながらも平和への思いを持ち続けた昭和天皇、個々の生き様や人間模様に深く考えさせられると同時に、大和魂をみせられました。

この歴史的一日を知る人も知らない人も、一度は観ておくべき映画ですね。

今年も熱い8月15日の終戦記念日がやってきます。終戦80年で様々な行事やイベントが催され関連ドラマも放映されています。私たちも、この日、この時を振り返り、戦争の惨劇を忘れることなく、反戦と平和への祈りを捧げたいと思います。

★それでは、またお会いしましょう。Good Luck!

本ブログはSWELLを使用しています
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この記事を書いた人

居所地:日本の中央山岳地域で田舎暮らし
映画・TVドラマ大好き人間
古代ロマン・スピリチュアル小説ファン
Pen name:東岳院展大
Blog nickname:福徳星人

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